ほびあに覚え書き

キッズアニメ・ホビーアニメの分析考察をまとめていこうと思います。気が向いた時に書きます。

レベルファイブ日野晃博が描く王の器〜女王の成長物語として見るメガトン級ムサシ〜

去る2023317日、テレビアニメ『メガトン級ムサシ』全28話の放映が終わった。


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私は20223月から約1年間このタイトルの公式アンバサダーを務めさせていただき、スタッフの方々や、時には株式会社レベルファイブ日野晃博社長から直接制作の裏側をお聞きすることもあった。同時期に放送されていた他のアニメやコロナ禍の影響もあり何度か放送延期も挟んだ中ではあったが、まずはそのような状況下においてアニメ作品として高クオリティを追求し、最終話まで走り抜いたスタッフの方々や関係者の方々、そして日野社長に心からの敬意を表したい。

 

日野社長によれば『メガトン級ムサシ』の物語はゲーム『メガトン級ムサシW(ワイアード)』、そして漫画の媒体に移って続きが描かれるそうだが、まずはテレビアニメが最終話を迎えた区切りとして、そして公式アンバサダーとして最初で最後の私なりの作品への考察を、長年レベルファイブ作品を追ってきた視点から述べていきたい。

以下、日野晃博社長についてはクリエイターとしての敬意を込めて敬称略で記載させていただく。

 

視点としての主人公、物語の中心人物としての主人公

当ブログでも以前記事にしたことがあるが、物語を描く際は一人称視点と三人称視点の二つの方法がある。一人称視点では視点となる人物が主人公になることが多く、特に子供向け作品では視聴者が理解しやすいようこの形式であることが多い。

一方三人称視点で描かれる物語は、推理小説のように受け手が作中人物の知り得ない情報を複数の勢力から得ることができるため、与えられた情報から物語の先行きを追う楽しみ方ができる。

『メガトン級ムサシ』では、公式から提示されている、あるいは2016年の制作発表時の主人公は一大寺大和であったが、物語の進行形式は地球人と侵略異星人(ラクター)の星をめぐる対立が主軸として描かれており、また日野晃博へのインタビュー記事などでも度々「群像劇である」と触れられているように三人称形式であったと言えるだろう。

実際に物語が進行するほどに主人公大和、そして大和が所属するシェルター「イクシア」の視点以外から描かれるシーンが増えてくる。地球人とドラクターの戦いが激化する中で最も中心人物となってくるのはドラクター(現地名称・シドル)の王女アーシェム・ライアである。心優しいが世間知らずのプリンセスであった彼女はイクシアで大和と出会い恋に落ちたことをきっかけに、「シドルと地球を一つにする」という固い決意を抱き行動を開始する。アーシェムの意志と行動はやがて周囲の人々を巻き込み一つの勢力になっていく。

ゲーム『メガトン級ムサシX(クロス)』では実際に操作キャラクターが大和からアーシェムに切り替わりストーリーが進むパートも用意されている。このように、『メガトン級ムサシ』という物語は公式には大和を主人公としながらもあくまでそれは視点の一つであり、その構造を捉えるにはサーガの中心人物であるアーシェムを主軸に紐解いていくのがわかりやすい。

 

日野晃博が描いてきた王・統治者・指導者たち エンマ大王、エバンを例に

アーシェムはシドルの女王・クロウゼードの一人娘であり、唯一の王位継承者である。アーシェム自身もその事に自覚的であり、シドルと地球の和平という目的のために母クロウゼードから、そしてクーデターでクロウゼードを追い皇帝となった元家臣グリファースから、統治者の座を受け継ぎ女王となることを目指す。

アーシェムは母クロウゼードも大器と認める王位継承者という描き方をされていたが、日野晃博はそんなアーシェムを物語の中でどのように王たる者として育て上げようとしたのか。それを考えるには、日野晃博が過去に世に送り出してきた王たちの軌跡を辿るのがよいだろう。

妖怪ウォッチ』シリーズに登場するエンマ大王(煌炎)レベルファイブ作品に登場する王の中で最も有名であり、誰もが認める理想の王であろう。その生まれは『映画妖怪ウォッチFOREVER FRIENDS』などで語られており、資産家出身で強い意志を持った少年・高城イツキの魂と、先代エンマ大王(業縁)の息子で力に呑まれた妖怪・紫炎の良心が融合し、転生して誕生した存在である。『妖怪ウォッチ』シリーズにはほぼ全作品で登場しており、周囲を惹きつける豪快で明るい性格ながら、民や守るべき子供たちのことを常に第一に考え、平和な治世を築いている。対立する部下やライバルの考えさえも見通し言葉をもって諭し、時には強大な妖力を武器に自ら戦いにも赴く。そのキャラクターとしての魅力の高さにファンも多い。

レベルファイブ作品でもう1人代表的な王を挙げるとするならば、『二ノ国レヴァナントキングダム』の主人公である少年エバン・ドリスファン・ニャンダールだろう。エバンはゴロネール王国の王子として生まれ、父王の死後幼くして王位を継ぐ予定だったが、大臣・チューダインのクーデターで王国を追われることとなる。亡命の際、身を挺してエバンを守って命を落とした乳母アルフィニーの「皆が笑っていられる国を作ってほしい」という言葉をきっかけに新たな国を立ち上げることを決意する。エバンは異世界(現実世界)からやってきた青年ロウランや旅の途中で出会った仲間と共に、生まれや種族、育ちの違いにとらわれず暮らせる暖かい王国「エスタバニア」を建国するだけでなく、二ノ国の世界から争いをなくすという目標のもと他国との同盟締結にも取り組む。

『メガトン級ムサシ』の先行作品として『二ノ国レヴァナントキングダム』を読み解く際、やはり注目すべきはエバンとアーシェムの生い立ちの共通点の多さだろう。エバンは自らを追放した祖国であるゴロネール王国とも同盟締結を目指すが、その折にゴロネールの城下町を訪れたことで初めて国内に根深い種族間の差別と対立があったこと、そして亡き父ラウゼオが種族差別の解消を目指し、そのために被差別種族であったチューダインを家臣として取り立てたことを知る。エバンのこの気付きは憎しみに染まっていたチューダインの目を覚ましただけでなく、物語の終盤にかけて多国籍連合軍をまとめ上げる演説の際にも生きてくる。

アーシェムもまた、異種族である大和に恋をしたことでシドル人と地球人が同じ「人間」であるという考えを持つようになる。また物語の中盤では、シドルの敗残兵たちが暮らす墜落村で被差別階級の兵士たちと生活を共にしたことで信頼関係を築き、階級間の使役ではなく目的を同じくする同志として新たな勢力を発足させ、まとめ上げていく。『二ノ国レヴァナントキングダム』の物語を知っている方の中には、アーシェムが墜落村で演説を行うシーンでエバンの演説を想起した方もいるのではないだろうか。

 

アーシェム・ライアとはどのような王位継承者だったか エルゼメキアから考える

レベルファイブ作品で過去に描かれてきた偉大な王たちを振り返ったところで、今作のアーシェムはどのようなキャラクターとして描かれていたか改めて見ていこう。

アーシェムは和平という理想のもとに強い意志と大胆かつ献身的な行動により人々を惹きつけ、崩壊した地球でなお続く戦禍の中で人々が次期女王の器と認める王女として立ち振る舞った。だが一方で、地球人の大和に一途な恋心を抱き、逢瀬を重ねるうちに大和との幸せな結婚を夢見るような純真無垢な少女としての一面も同様に何度も描写されていた。その二つの表情は周囲の者、あるいは視聴者にとってある種ギャップのある、不完全な姿として映ったであろう。そして実際に物語の中で純真無垢な面から来る油断をグリファースに突かれ、司令官の立場であるにも関わらず誘拐される失態を犯してしまう。

アーシェムは王たる者として失格だったのだろうか。ここで再び過去のレベルファイブ作品に目を向け、失策に終わった王や指導者たちを振り返ってみる。

妖怪ウォッチjam 妖怪学園YNとの遭遇〜』に登場するエルゼメキア(エルゼ)は近年のレベルファイブ作品の中では最もエゴに走った指導者キャラクターだ。元はコーリー星という惑星の美しい女王であったエルゼだが、自我を持ったブラックホール・マゼラの襲撃を受けた際にその力を見初められ、コーリー星を人質に取られる代わりにマゼラの手下で幹部であるエルゼメキアとなって他の惑星を侵略する。地球を侵略するにあたり、明るくあどけない言動で部下の宇宙人たちと共に非道な行いを繰り返してきたエルゼメキアだが、後にその手法はマゼラの侵略を遅延させ地球に反撃の機会を与えるためだったと判明する。マゼラに意図を見抜かれ吸収されそうになったエルゼメキアは霧隠ラント=DSギャラクシーの手により自我を失う寸前に討ち取られ成仏する。

玉田マタロウを始め作中のキャラクターからは概ね「可哀想」という扱いを受けたエルゼメキアだが、客観的に見てエルゼメキアの行いは倫理的に一貫するものであったか今も疑問が残る。マゼラによりエルゼの名を失いエルゼメキアとなった時点で精神が狂っていたと言われればそれまでだが、劇中の描写からエルゼメキアは地球以前にも複数の惑星を滅ぼしているほか、メインキャラクターの中にも家族や友人を命を弄ばれた上で殺された、あるいは殺されかけた者は数多くいる。部下や傭兵の宇宙人も基本的には恐怖政治の上の使い捨てである。その上で恩赦を与えていたと主張されても納得するのは容易ではない。美談にはできない悲しき女王キャラクターであろう。

 

王たるものは個人としての幸せを求めてはならないのか? 朱夏、ロウラン、ハムナルの後悔から読み解く

物語の最終話、クロウゼードから女王の座を受け継ぎ、グリファースによって強制的に契りを交わさせられた(シドルの女王として下民兵を産むための子種を食わされた、というべきか)アーシェムは、シドルの女王として発現した強大な力でエルゼド軍を退ける一方で、自室で一人「二つの星を一つにするなんて嘘だった。大和と一緒に暮らせる世界を作りたかっただけだった、全部自分のためだった」と後悔の涙を流す。

エルゼメキアの例からも見たように、王や指導者たる者は個人としての幸福を追い求めてはならないのだろうか。否、日野晃博はそのようには考えていない。三度レベルファイブの過去作品から王たちの生涯を辿ってみよう。

妖怪ウォッチ シャドウサイド』に登場する朱夏は古き時代に妖魔界を統治していた鬼族の中でも最強の鬼姫と呼ばれた存在だ。朱夏は妖魔王の地位を継ぐ前より近衛兵の1人であった空天と恋をし、許婚の関係にもなっていた。しかしあるとき空天の正体が妖魔界の支配を狙い災いを招く妖怪・空亡であるとの流言を耳にし、騙されていたとのショックから空天を追放する。その後妖魔界を襲った空亡を退けた朱夏は王の座を継ぎ、最強の妖魔王と呼ばれながらも1人寂しい生涯を送ることとなる。

朱夏の選択は世を治める王として誤りではなかったかもしれない。だが後に空天と同じ近衛兵であった玄冬と白秋によって空天の無実が明かされ、天野ナツメとして転生した後に真実を知った朱夏は激しく後悔することになる。流言に惑わされ自らの心を否定したことで朱夏と空天の関係は崩れ、手にするはずだった幸せを掴むことはできなかった。

また、『二ノ国レヴァナントキングダム』にはエバン以外にも様々な王や統治者が登場するが、エバンを導く存在であるロウランもその一人だ。ロウラン・クラインは二ノ国と対になる世界である一ノ国=現実世界でとある大国を治める大統領であった。作中では若い姿でエバンと行動を共にするロウランだが、一ノ国ではエバンと同じくらいの年頃の息子を持つ父親でもある。しかし大統領としての責務に追われ、病に伏せる息子と過ごす時間をなかなか取れないことに後ろめたさを感じてもいた。その後悔の感情は二ノ国においてロウランと魂を共有する存在である魔導師ハムナルに利用され、徐々に精神を蝕んでいく。ロウラン自身はその強い精神力でハムナルの誘いを跳ね除けたものの、ロウランの抱える後悔が幻覚となって現れる場面は薄ら恐ろしさを感じるシーンである。

また、ロウランの同一体であるハムナルもまた本来はとある国の王であった。しかし、守護神アリシアノルスと種族を越えた恋に落ちたことをきっかけにアリシアノルスは破壊神に堕とされ、王国は崩壊する。アリシアノルスとの恋が絶対神からの罰だと考え怒りに染まっていたハムナルだが、その真実は恋をしたこと自体ではなく、アリシアノルスが守護神の立場を捨てようとしたことが罰を与えられた理由だったと知る。

これらの物語を見れば、日野晃博が描く物語に「王の責務と個人の幸福は両立すべきではない」というメッセージが込められていることはないことは明らかであろう。

 

総括 少女の幸せと王位継承者の罪 極限の世界を導く女王となった少女に降り注いだお伽話の奇跡

改めて、アーシェム・ライアという王位継承者が日野晃博によってどのようなキャラクターとして描かれていたかを振り返っていこう。

圧倒的な軍事力で瞬く間に地球を侵略し、地球人を絶滅寸前まで追いやった異星人、シドルの民。アーシェムはその王族の一人娘であった。もとより地球人との和解を主張していた彼女だが、地球人のシェルター「イクシア」に潜入した際、戦士の一人である一大寺大和に出会い恋に落ちたことをきっかけに「シドルと地球、二つの星を一つにする」という固い目標を持つようになる。決意を曲げない意志の強さと、地球人やシドルの被差別階級にも分け隔てなく接する優しい人柄は種族を問わず多くの者を惹きつけ、やがて母で女王であるクロウゼードにも王位継承者としての大器を認められる。一方で大和との恋の成就も願う純情な面も見せるが、アーシェムに恋慕を向け王の座を狙うグリファースにその純真さを利用され拘束される。和平派勢力の司令官であるにも関わらず戦闘に加担できなくなった彼女は母クロウゼードと恋人大和の死をただ見ていることしかできず、絶望のままグリファースの策に乗せられ望まぬ形でシドルの女王の座を継ぐ。

ここまでがテレビアニメ27話までのアーシェムの辿った道だが、希望に向かって進んでいたはずの彼女が終盤で一気に絶望へと叩き落とされる展開に驚いた視聴者も多かったであろう。しかし同時に、侵略者の姫という立場ながら世間知らずで、大和との恋愛で幸せを享受する姿こそ罪であり、終盤の展開はその罪に対して与えられた代償だという感想も多く見受けられた。それはアーシェム自身も28話で自戒し後悔しているとおり、侵略者の姫という生まれで背負った原罪、そして王位継承者でありながら、心のどこかでその立場を否定し大和との甘い将来を夢見たことへの当然の見返りという向きもあろう。

しかし、「二つの星を一つにする」という理想を持ち、近衛騎士だったサーザントの後ろ盾を失い一度は一人になってもなお歩みを止めず、ヴィクトやクロウゼード、墜落村の兵士たちを率いて和平派勢力を立ち上げたその姿は、まさしく日野晃博がこれまで描いてきた王たる者たちの姿に全く劣らないものであった。アーシェムは世間知らずのプリンセスであったかもしれないが、クロウゼードが「シドルの民の中でただ一人狂気に染まらなかった」と追想しているとおり、正しい理念を夢見る世間知らずさがあったからこそ、極限の世界の中で戦争を止め和平と導くという理想を持つことができた。そして現実に負けずその理想を貫く強い意志にこそ、大和やクロウゼードを含めた人々は光を見出し、希望を託すことができたのだ。

そして物語の終わりに、終戦へと向かう世界で偶然、アーシェムは戦死したと思われていた大和との再会を果たす。それは地球人もシドル人もあずかり知らぬところでの神の計画の一部、否、ただの気まぐれであったのかもしれない。ただ、私にはこの物語を書き上げた日野晃博からの、極限の世界の中で少女から女王へと成長したアーシェムへのささやかなお伽話の魔法のような贈り物ではないかと思うのだ。

『メガトン級ムサシ』の物語はこれまでのレベルファイブ作品の全体的に明るかったイメージを大きく覆すようなシビアな物語であった。しかし、クリエイターとしての日野晃博の根底にはいつも、ユーザーが幸せな気持ちになれる作品を作りたいという思いがあるとインタビュー等で何度も語られている。『メガトン級ムサシ』もその例に漏れず、ただただ因果応報の絶望の物語ではないと私は思う。この物語の続編も、アーシェムや大和、登場人物たちの願いが引き継がれ、希望を見せてくれる物語になるはずだ。